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もう1度“茶園から茶の間へ”っていうことをやってみようと 「039 さきみどり出雲」出雲精茶 岡祐太さんインタビュー

2020年07月20日

by 煎茶堂東京編集部

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島根県出雲にある歴史の古い茶園に、元テレビマンという異色の経歴を持つ男性がいます。

茶農家に生まれながらも一度はまったくの異業種に就いた「出雲精茶」の岡さん。その経験を通し現在のお茶作りに励む様子やその想いに迫ります。

話し手:岡祐太さん 聞き手:谷本幹人


―――1月に出雲精茶さんの代表になられて、いかがですか。
希望と不安とで胃が痛い毎日ですね(笑)。でも、昨年は畑のことを任せてもらいながらいいお茶が作れたので、今年はもっといいのができるんじゃないかと思って楽しみにしています。

―――出雲精茶さんは2006年に設立されてますが、その経緯は。
親会社は島根県斐川町にある桃翆園(とうすいえん)っていう明治40年創業の会社です。もともとその会社のモットーが “茶園から茶の間へ、全て一貫生産していく”っていうところがありました。

だけどそれが時代の煽りでバーッて茶畑が1回つぶれて、買付と販売のみをしてたんですけど、創業100周年のときにもう1度“茶園から茶の間へ”っていうことをやってみようと。

あと、非常にお茶が親しまれている文化のある地域なので、いいお茶を作って島根県をリードしていけるような企業になっていけたらというところで立ち上がりました。

―――小さい頃からお茶を見てて、でも1度東京に行かれたのはなぜ。
お茶屋で生まれて実家の家自体も会社のすぐ横にあって、ずっとお茶をやってる祖父、父、母を見てて。まわりの人間も“桃翆園の岡祐太”として見てくる環境で育ってきたので…。

そのときの正直な気持ちは、ここじゃなくて誰も僕のことを知らない世界で勝負したい、個人の力で勝負したいなっていうのがあったんですね。なので大学は京都に行って、それこそすぐ近くにすごい玉露の生産地があったんですけど、そんなの見向きもせず横でサッカーしてた人間でした。その後、就職は東京のほうで。

―――東京でのお仕事も、まったくの異業種じゃないですか。
僕、お笑い好きで。この人たちと仕事したいなと思って吉本の番組制作会社に入ったんです。最初は制作チームで、後々フジテレビに出向してBSの番組を担当して、そこで叩きあげられました。でも、ものを作っていくのやっぱ面白いなと思いましたね。

ものを作る中に自分の個性がどう生かせるかとか、どういう方向に持っていったら一番人を喜ばせられるものが作れるか、っていうのはそこで学んで。ただ、そのためには一見楽しそうにしてても大変な部分は視聴者には見せずに作っていく努力も必要…みたいなこともここで学びました。

―――こう、心意気がいいですよね。
マジたたきあげられましたからね。いやー、きつかった。朝5時にカメラマンに飛び蹴りくらうとか。それから次は情報バラエティーやってみたくて、そこで「お願いランキング」に行けたんですけど、地上波だし過酷さが違ったんです。

ただ今ある環境の中で求められてるクオリティーは変わらないですし、要はそこに向かって妥協せずに形を作っていくっていうのは、プロとして大事なことなんだなと思いました。

―――もの作りに関わってきて、逆にお茶だからこそ感じた面白さってありますか。
“美味しい”っていうのは、広くて概念的で非常に奥深いですね。突き詰めたときに、僕らが美味しいって思ってるお茶と、世間の一般の方が思ってる美味しいお茶の整合性ってどうなんだろうとかね。あと、環境ですね。ここ来て畑見たときに、すごいとこ来たなと思って。

まぁ、六本木ヒルズ見てた翌日には畑でタヌキ見てるわけだから(笑)。この場所ってほんとストレスフリーで。改めて自然から得られるエネルギーっていうのは大事なんだなって思いました。極論お金あっても食べ物なくなっちゃったら生きていけないじゃないですか。

だから人間にとっての一番根幹な部分に携われるっていうことは、僕にとって大きな元気になってます。

―――お茶を出していて「出雲ってお茶あったの?」と言われることが結構あるんですよ。
そうですよね。僕もめっちゃ言われますもん。でも実はこの地域って昔はみなさんが茶畑を家のまわりに持ってて。軒先茶園って言うんですけど。

それを自分たちで摘んで桃翆園に持ってきて、仕上げしてあげて返すっていうのがあったんですね。なのでみなさん当たり前にお茶を飲んでるっていう文化のある、すごいところだと思います。お茶の詰め放題とかやると、馬鹿みたいに出るんで。

昔はもっとすごかったらしいんですけど、僕からしたらこれだけお茶が飲まれないって言われる中で、こんなに動くんだなっていうのと、そこで「やっぱこのお茶美味しいね」って言われるのが嬉しいですね。

岡さん(写真左)に誘われ、桃翠園に入社した同級生の松井さん(写真右)と。110年以上前に創業した國次郎にちなんだカフェにて。

―――なぜこのあたりの地域はそんなにお茶が飲まれてるんでしょうか。
松江は、江戸時代に松江城の城主の松平治郷(まつだいらはるさと)が、茶人として非常に功績を残された影響で地域の方が茶の湯に親しまれています。当時お茶は贅沢品だったんで、お抹茶って禁止になってるんですよ。

だけど松江は隠れて飲むために、隠れ茶屋っていうの作って、飲めるところが今も残っています。そこら辺の茶碗に抹茶をバァァァーってとって、はいどうぞみたいな全然敷居が高くない抹茶の楽しみ方ですね。抹茶の消費量なんか松江市だけで全国でも有数ですし、確か和菓子も全国で上位ですね。

逆に出雲はお煎茶文化があって、おうちにお客さん来られたり、夜も普通に食事のあとに煎茶飲んだりっていう文化の地域です。松江も出雲もすごい近い地域だけど明確に抹茶と煎茶で消費されるもんが違うのがちょっと不思議ですよね。

焙じ茶に関しても松江だったらだいぶ強めに火入れるけど、出雲はそれじゃ売れないとか。

―――この場所の地形や気候ってどんな感じですか。
島根県って実は美肌県って言われてて、毎回1位になるんですよね。なぜかっていうと、すごい曇りが多いんですよ。山陰、山の影って言われるぐらい。今日も曇ってるけど青空が見えてるのは珍しいですね。大阪からお嫁に来られた方とか曇り多すぎて病んで帰ったそうです。

だからこの地域の茶葉は天然の被せ茶みたいな感じなんですよ。普通ならわざわざ遮光して甘味と旨味を作るのに、それがいらない。それは非常に強みだなと思いますね。独特な香りがあって、県外のお茶よりも、ちょっとスッキリしてる感じなんですよ。

―――岡さんのお茶は、飲むとこんなに旨味があるんだと驚かれます。
ほんとですか。ありがとうございます。煎茶堂東京さんに卸させていただいてるような仕上がりは理想的なんです。今世間で求められてるものが、水の色がきれいで苦渋味がなくてっていう茶葉なんで、普段は水色出すためにけっこう蒸しも強くしてるんですけど、いやいやそれだけじゃないと。

たかがこの面積でそこに向かって売るんかと。そうじゃないニーズを捕まえて、そこで勝負していきたい、できるんじゃないのかと。それがこの地域のお茶の特性や価値だったり大事なものだと思うので。この地域独自の特性を、それをきちんと体現できる体制は持っておかないとなとは思ってます。

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このインタビューは、「観て飲む」お茶の定期便 "TOKYO TEA JOURNAL"に掲載されたものです。毎月お茶にまつわるお話と、2種類の茶葉をセットでお届け中。

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