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一番茶が終わる頃、もう葉っぱがなくなってしまった…って思います 「005 おくみどり」輝保園 下窪英仁さんインタビュー

2020年07月19日

by 煎茶堂東京編集部

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鹿児島県・頴娃(えい)の地域は、煎茶堂東京でも多くの茶葉を取り扱っています。「032 つゆひかり 頴娃」の健一郎さん、「001はるもえぎ」の康介さん、そして今回インタビューする、最も若手の英仁(ひでと)さん。

勢いのある頴娃のエネルギッシュな人間模様をお届けします。

話し手:輝保園 下窪英仁さん 聞き手:谷本幹人



―――ここ、「おくみどり」の茶園はどういう場所になるんですか。
鹿児島県でも一番南のほうですが、ここは標高が250mくらいになるのかな。だから気温はあまり高くないところですね。

あとここは霧がすごいですね。ちょっと雨が降れば霧。やっぱり昼と夜の温度差があったほうがいいのかなとは思います。「おくみどり」みたいな品種は、特にですね。

―――おくみどりは奥手(おくて )(※)の品種ですね。
そう。でもこの辺だけなんですよ、奥手の品種を作ってるのは。大体やぶきたで終わりみたいな。収穫を始めてから2週間くらいで終わるって。やっぱここは標高も高いし奥手の品種が結構あるから早生(わせ)から収穫して終わるまでに1カ月くらいかかります。

※奥手
目安となる「やぶきた」よりも遅い時期に収穫される茶葉のこと。晩生とも呼ぶ。早い時期に収穫されるものを早生(わせ)と呼ぶ。気温が低い地域は、同じ品種でも収穫が遅い「奥手の地域」となる。

「今年のお茶はいいですよ!」と笑う英仁さん

―――輝保園は最初、どんな風に始まったんですか。
最初はすごく畑の面積も少なくて、ほんとにその規模で工場を始めるのか!っていうような感じでうちの父親が始めたらしいんですけど、それで叔父…父親の弟と一緒にちょっとずつ面積を増やしてきました。そんなに規模は大きくないです

―――茶業継ぐために戻られたのはどういうきっかけで。
僕は全く継ぐ気はなくて、中国にいたんです。

叔父さんたちが跡取りがいないので父親に畑を全部見てくれってことになって。でも父親だけじゃ無理で、帰って来てくれないかって。もう中国で生活できる、ここなら生きていけるなっていうのがあって、どうしようか半年くらい悩みましたけどね。

―――中国では何をされていたんですか。
中国では英語教えてました。不思議ですよね。僕、アメリカの大学を出てまして。でも、アメリカに行っても、どうせお茶があるからって気持ちで行けば勉強しないじゃないですか。だからもうお茶はするな、自分で食っていけるようになれって言われてアメリカ行って。なので継ぐのは、全く想像してなかったっていうか。

―――アメリカ行ってからなぜ中国へ。
アメリカから帰ってきてホテルで働いてたんですけど、そしたら中国のお客さんに全然言葉が通じなくて(笑)。これ、やばいと思ってホテルの社長に直談判しました。ちょっと中国に行きたいから、行かせてくれって。それで、向こうで中国語を勉強しながら英語教えてました。最初は中国人に教えてたんですけど、その後は日本語学校の子どもにも教えてました。

―――そのときに戻るか悩んだのは、ここまでやってきたのに、辞めていいのかという葛藤ですか。
高校終わってから今までやってきたのが全部無駄だったとなるのが嫌で。だから、年に1回は外国人向けのお茶教室したりとか、何かしら自分にしかできないようなことをと思ってやってます。

―――海外から戻ってきてからは、どういう風にしてお茶作りをステップアップしていったんですか。
うちの親、教えてくれる人たちじゃないんですよ。それこそ健一郎さんや康介さんとか、若手の農家の集まりで聞いてました。帰ってきたばっかりだから難しいこともあるし、みんな教えてくれました。あとはもう本を読んだり、時間を見て工場をまわったり、畑を見てもらったりとか。

―――茶時期にはいろんなとこに顔を出して現場を見させてもらう、手伝ってみるって以前おっしゃっていましたね。その当時は、分からないけどもとりあえず行くか、みたいな感じなんですか。
逆に分かんないときのほうが行きやすい。みんなやっぱ先輩たちだから。そのときは一番若かったですし。

今はもう下の子なんかも出てきてて。そうなってくると、見に来てくれるような工場になりたいなっていうのはある。やっぱり、いいとこじゃないとみんな見に行かないですから。

―――色々教えてくれた健一郎さんや康介さんは、ここの生まれでお知り合いだったんですか。
ですね。もう、小っちゃいときから。康介さんは2つ上なので、小学校・中学校もずっとかぶってて。健一郎さんとは10歳違わないくらいで、いまも釣りに行ったり、ゴルフに行ったり。

やっぱり、同じ地域にそういう人たちがいるのはすごく心強いです。その2人だけじゃなくて、もっといっぱいいますが、その繋がりがないとできないですね。これだ、って思ってやってみても評価もされないだろうし、流れも分かんないだろうし。

―――色んなことを教えてもらっているんですね。
もう全部教えてくれますよ。本当に。

でも分かんないことばっかですね。まだまだ。年に1回しか一番茶摘めないですからね。この畑も、僕が摘めるのはあと30回くらいしかない。他の仕事だったら、またいろいろあるかもしれないけど。

―――そうですよね。でもそうなると、年1回をどうやって良くするかをすごく考えるわけですか。
お茶を摘んでないとき、工場であれが駄目だったんじゃないかっていうのを洗い出す。そして人に話を聞いたりしてます。いま現状がこうで、こうじゃないかと思ってるんですけどって、聞けばやっぱり教えてくれたり。

そうすると、何個か改善していく点が出てくるのでそれを改善して。納得はいかないんですけどね。どうしてもまた、次の年、次の年ってなっていきます。なんか一番茶の製造が終わる頃、もう葉っぱがなくなってしまった…って思いますもん。やっぱ1日1日、ちょっとずつ気になるとこは改善していくけど、あっという間に葉っぱがなくなってしまう。

―――そんな感覚なんですね。いいですね。ハングリー精神が。
そう。あーもう終わってしまったっていう。

お茶ができて夜中11時とかに健一郎さんちで康介くんもとかも来て、その日採れたお茶をみんなで見たりもします。

―――そのときに健一郎さんや康介さんの「いいな」みたいになるんですか。
それは、もう。

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このインタビューは、「観て飲む」お茶の定期便 "TOKYO TEA JOURNAL"に掲載されたものです。毎月お茶にまつわるお話と、2種類の茶葉をセットでお届け中。

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