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やるからにはやらんといけんね。まだこれから茶業で地域を盛り上げていかないとなと 「001 はるもえぎ」かごしま八州たにば茶業 下窪康介さんインタビュー

2020年07月19日

by 煎茶堂東京編集部

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煎茶堂東京は、「001 はるもえぎ」から始まりました。僕たちがはじめて飲んだシングルオリジンのお茶が、この「はるもえぎ」の2016年産。甘くてやわらかい!こんなお茶は飲んだことがない。まるで栗のような香りも、緑色の美しさも、すべてがはじめてで、衝撃でした。

これは広めるべきだ。鹿児島にいる康介さんを訪ねて仮説は確信に変わり、僕らの「美味しいお茶がある暮らし」がスタートしました。本取材のために康介さんを訪ね、はるもえぎの茶園と再会したときの会話が「見ない間に大きくなったねぇ」という親戚の子に向けるような内容になってしまうほどに思い入れの深いお茶です。

そんな「はじまりのお茶」について、生産者の下窪康介さんと、同じ地域で茶を作る「032 つゆひかり頴娃」の生産者・下窪健一郎さんにお話を伺ってきました。


話し手:かごしま八州たにば茶業 下窪康介さん・下窪勲製茶 下窪健一郎さん 聞き手:谷本幹人

―――はるもえぎの畑!相変わらずいいですね!前回伺ったのは2年前ですが、あのときはこんなに背が高くなかったし、普通に木のあいだを歩いて中に入れましたね。感慨深い…。
康介さん:あのときはまだ茶園の隣の列同士が引っついてなかったかもしれない。横幅がここまで広がってなかった。背丈は、1回中刈り(※)してますね、そんでまた中刈り時期がきてるんで。

※中刈り
茶の木は収穫(摘採)を繰り返すと枝が増えて細くなり、葉も小さくなり密集してしまう。そうなると葉に栄養が行き渡りにくくなるため、4〜5年程度に一度、枝葉を深く刈り落として木の若返りを図る「中刈り」を行う。「深刈り」もある。

―――あのときで何年目の木だったんですか?
康介さん:8年目くらいじゃないかな。

―――ではこの木は今年10歳。今年の「はるもえぎ」はどうですか。
康介さん:自分はいいと思いますね。今年は去年みたいに気温が高くもないし、それなりに雨も降ってるんでたぶん肥料を吸ってくれて、いまからいい茶が採れるんじゃないのかなって。

―――楽しみだなあ。健一郎さんが芽重型で、旨味が強くてどっしりしたお茶を作っていらっしゃいますが、康介さんが目指すお茶の方向性はどんなものですか?
康介さん:もともと自分の親父が芽数型でつくってて、芽重型を取り入れてきました。品種を見て芽数になりやすいのは調整して。肥料は有機系の肥料で味とか香りを目指したほうがいいんじゃないのかなって。

親父と役員を代わって約5年たちますが、肥料の勉強からなにからなんですけど、作り手の思いが感じられる、味と香りを届けたいなっていうのは思ってます。そのなかで今回はるもえぎを大々的に売ってくれて、自分たちも頑張る力になってるんでこれからも一緒に頑張っていけたらなと。

―――八州たにばの名前の由来をご説明いただいてもいいですか。
康介さん:八州たにば茶業はですね、8人の株主が集まって八州っていうことなんです。8人の知恵もあればいい茶が採れるような環境になるんだと。工場はでかいですけど大きい工場でもいいお茶採れるんだってとこをやっぱこれから見ていただきたいなって思いますね。みんな意識が高いので、切磋琢磨して頑張っています。

―――なんか神話にありそうな成り立ちですね。では、康介さんご自身のプロフィールも教えてください。
康介さん:年齢は36歳です。就農してから約15年ですね。20歳の頃からずっとお茶をつくっております。自分は最初お茶をするつもりはなかったんですけど、本当に。料理関係のほうで、調理師免許も取って。料理の道に進もうと思ってたんですけど、そのときに親父から「大変だ、ちょっと帰ってこい」といわれたんで。「じゃ、2年だけな」っていう約束をしてから、そのままずっと。

地元へ帰ってきたらいい先輩たちがいてですね、「お前もうこの世界から抜けられないよ」と。お前じゃないと駄目だよという言葉をいただいて。免許まで持ってたのに泣く泣く調理師を諦めて、いまお茶に携わっております。

―――4人兄弟のどういう構成なんですか。
康介さん:全部男ですね。自分は男4兄弟の長男で、後継者候補はいたんですけど「もうあんちゃんしかいないよ」って兄弟からも言われてですね。

やるからにはやらんといけんねって言って、今年も改植して「つゆひかり」も植えてみたっていう。意欲はあるほうだと思うんで、まだこれから茶業で地域を盛り上げていかないとなと。

―――調理師としての道を進んでいて、急にまったく異なる業界のお茶に入られたときの苦労というのはありましたか。
康介さん:親父の教え方が独特で。親父はもともとトヨタにいて、じいちゃんのお茶工場に27歳のときに帰ってきて。親父はじいちゃんからいきなり「二番茶から全部お前1人でしろ」って言われて、じいちゃんは来なかったらしいです。それは苦労したっていってました。だけども親父はそっから人の工場を周って、独自のやり方を見つけていった。

だから、自分が代わったときにもなんにも教えてくれなかったですね。製造もなんも言わないし、農薬とか肥料に関してもお前が好きなようにすればっていうことで。それで本当に虫にやられたりしたこともあったんですけど、「ほらみろ、だから勉強しろって言ったよね」って、それだけです。

そっから周りの先輩方が助けてくれて、こうした方がいいよとか。やっぱ地域でつながっていけるように、親父も仕向けたのかなと思います。いまはあの教え方でよかったのかなって思いますね。


―――親子三代で受け継がれてく。すごくいい話じゃないですか。大変苦労されたんだと思いますが、それはここにコミュニティがなければ成立ないことですよね。
康介さん:「005 おくみどり」の英仁(ひでと)も言うとおり、この地域は切磋琢磨できる環境にある。お互いライバルだけど、情報交換できる。それが一番の強みなのかなって思ってますね。昔なんかは人の工場に行くなんてことはなかったんですよ。これじゃ駄目だってうことで、いいとこには見に行って、こうしたほうがいいとかみんなにも伝えられるし、情報交換が大事なのかなって思います。

―――お話を聞いていても地域のつながりの強さを感じます。放任主義の中、最初に手応えを感じたのはどんなときですか。
康介さん:最初は防除(※)でしたね。1年目できなくて、親父に「俺んちなんかやられてるぞ」って言われて。負けず嫌いなのでなにくそと思ってそこから勉強して、3年たったころには親父が逆に自分に聞いてくるぐらいで。はじめは害虫とかどこにいんのか分からん状態で、天敵もいるとは聞くんだけど、どれが天敵でどれがハダニなのか、知るところからでした。

※防除
害虫の駆除や病気の発生、雑草の発生を防ぐことを指す。農業では広く使われる言葉。お茶の栽培では、葉を刈り落とすことによって病気を防いだり、天敵を用いた生態系での害虫駆除、摘採時期を避けて農薬を散布するなどが行われる。また、品種によっても耐病性が異なる。

―――その経験をきっかけにさらにのめり込んでいくと。
康介さん:そっからおやじと代わってすぐ荒茶の製造しろっていうことだったんで。製造も誰も教えてくれないしですね。データはあったけど毎年同じデータじゃ通用しないしですね。それでやっぱ手で覚えるのが一番だろうっていうことで、まだまだいまも勉強中ですけど、常に触る。人のと比べて触ってみるとか、そういうのも大事なのかなと。特に健一郎さん家には行ったりするんで。

―――健一郎さんは、康介さんのことをどうみていますか。
健一郎さん:向上心をしっかり持っていて、観察力もあって協調性もあるし、茶業界を引っ張るリーダーシップのある男じゃないかと思ってます。時間があるときに遊びにきたりとかするんですけど、話しながらお酒飲みながら、本当に先のことを考えてる男だなと。

頴娃の地域のつながり。健一郎さん(左)と康介さん(右)


―――地元へ戻ってこられたときってどうでした?
健一郎さん:これ、言っていいのかな…あのときはまだ高校?

康介さん:18か19ぐらいですよね。

健一郎さん:その頃は公民館の寄り合いとかにきては、すごい騒いでたんですよ。でも、気がついたら調理師免許取りに行ってるって、急にいなくなってたんです。ずっとこの地域に残るのかなって思っていたので、「えっ」て思って。帰ってきてくれて本当に良かったなと。いまからどんどん若い人いなくなるので、康介みたいな元気のある人がこのいまの地域を支えてくれてすごく嬉しく思いますね。

―――いま康介さん茶髪ですけど、昔からやんちゃだったんですね。
健一郎さん:見た通りちゃらんぽらん…はしてないですけど、しょっちゅう飲んだりとかするんですが、本当に熱い男ですよね。見た目と違って本当に芯を持ってて熱い男です(笑)。

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このインタビューは、「観て飲む」お茶の定期便 "TOKYO TEA JOURNAL"に掲載されたものです。毎月お茶にまつわるお話と、2種類の茶葉をセットでお届け中。

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