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130年前の駅弁は一体どういうもの? 駅弁とお茶の歴史
2022年03月22日
by 煎茶堂東京編集部
暖かくなってくると、春の陽気に誘われてお出かけしたい気持ちになってきます。ちょっと近所の公園に、電車に乗ってあの街へ。そして新幹線などで遠出するときに欠かせないのは、やっぱり「駅弁」。
今や駅だけでなく、百貨店やスーパーなどでも購入でき、駅弁フェアはいつも大盛況。種類も豊富でどれを買おうか迷う人も多いのではないでしょうか。ここでは、駅弁とお茶についてその歴史をひもといてみましょう。
駅弁の誕生
駅弁が初めて登場したのは明治18(1885)年、日本鉄道が上野〜宇都宮間で開通し、宇都宮駅開業に合わせて、駅前で旅館を営んでいた「白木屋」が、ゴマをまぶしたにぎりめし2個とたくあん2切れを竹の皮に包んで5銭で販売したのが始まりといわれています。
蕎麦が1杯1銭という時代ですからかなり高価なうえ、当初はまだ車内での飲食に抵抗がある人も多く、利用する人は少なかったようです。
鉄道網が広がって乗車時間が長くなるとともに、車内で飲食する必要も増え、駅弁は全国に普及していきます。明治22(1889)年、姫路駅で、歌舞伎の見物客が幕間に食べるお弁当のような経木の箱に詰めた、いわゆる幕の内弁当が登場します。
すると、折詰にもバリエーションが生まれ、中身を豪華にした上等の弁当には‘掛け紙’がつけられるようになりました。これが現在も続く掛け紙の始まりです。大正期にはカラー印刷になり、全国に広まってさまざまな種類の駅弁が登場するようになります。駅弁が旅気分を盛り上げてくれるのには、この掛け紙の力も大きいのではないでしょうか。
昭和の駅弁ブーム
終戦後、驚異的な早さで復興を果たした日本は、高度成長期を迎え、空前の旅行ブームが訪れます。さまざまなご当地弁当が誕生し、昭和28(1953)年には、大阪・高島屋で初の駅弁大会が開かれました。
現在でも人気の「崎陽軒・シウマイ弁当」(昭和29年)や「荻野屋・峠の釜めし」(昭和33年)が登場したのもこの頃。昭和39(1964)年の東海道新幹線開業がさらに旅行ブームに拍車をかけ、駅弁は鉄道の旅に欠かせないものとなっていくのです。
ちなみに、4月10日は駅弁の日だそう。(一社)日本鉄道構内営業中央会が、平成5(1993)年に、弁当の「弁」の字が4と十の組み合わせでできていて「当」がとう(10)となることから、4月10日を「駅弁の日」に定めたのです。
駅弁は台湾でも人気
日本と同じように駅弁が人気なのが台湾です。炊いた白米に漬物、排骨(パイコー)などの肉料理がのったシンプルな「鐵路(てつろ)便當」は、長年に渡って旅には欠かせない存在。
弁当の概念は、日本統治時代に伝わったとされていますが、日本との違いはお弁当が「温かい」こと。台湾の人たちは冷え切ったご飯を食べるのを嫌がる人が多いからだそう。日本では“駅弁を食べ始めるのは、電車が動きだしてから”とこだわる人もいますが、台湾では買ったらすぐ食べる人がほとんどといいます。
汽車土瓶からポリ茶瓶、さらにペットボトルへ
駅弁とともにお茶が販売されるようになったのは、明治20年代。静岡駅の駅弁屋が信楽焼の土瓶にお茶を入れ、小さな湯のみを添えて販売したのが始まりといわれています。有料でお茶の差し替えもでき、使った土瓶は使い捨てでした。
割れやすく重く扱いにくいことから、大正10(1921)年に鉄道省が汽車土瓶の使用を禁止したものの、代わりに使用されたガラス製茶器が不評で土瓶が復活。しかし昭和30年代初め頃に軽くて便利なポリ容器が登場すると、汽車土瓶はあっという間に姿を消します。
昭和50年代後半までは、ティーバッグのお茶が入ったポリ容器にお湯を注いでもらい駅弁とともに買うのが定番でしたが、これも便利なペットボトルが登場すると瞬く間に取って代わられてしまうのです。
実は、数は少ないですが、今でも土瓶のお茶を販売している駅があるようです。旅の楽しみに探してみるのもいいですね。
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