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生の声を聞きながら茶作りをしたほうが、毎日が面白い 「034 ゆたかみどり」東八重製茶 東八重隼さんインタビュー
2020年07月19日
by 煎茶堂東京編集部
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茶の一大産地である鹿児島県の中でも宮崎との県境に近いエリアに位置する、志布志市有明町。
ここには、買い手側の“生の声”に耳を傾ける「東八重製茶」があります。東八重さんは、市場に出すお茶とは別に、茶商から直接依頼を受けて茶を製造する相対(あいたい)に取り組んでいる農家です。相対取引をはじめた背景や茶作りのこと、ご家族のことを伺いました。
話し手:東八重製茶 東八重隼(とうばえ はやと)さん 聞き手:谷本幹人
―――この地域と有明茶の特徴を教えてください。
場所で言うと鹿児島県の太平洋側。宮崎県のすぐ下で、20〜30分走れば宮崎に着くんです。お茶の歴史はすごく浅い産地で、畑の増加スピードじゃ、日本一ですよ。あと特徴は…減農薬ですね。
有明は、IPMっていういろんな防虫方法を組み合わせてうまいこと虫をよける技術を早くから取り込んで減農薬に取り組んでます。他の地域と比べたら農薬は半分以下かもしれないね。
―――この畑は、山を開いて作られたんですか。
そう。ここ、元みかん畑なんですよ。ずっと山だったのをを開いて畑にして。みかんの畑って結構、石とか岩とか多くて。ここの畑も、茶を植えて20年くらいになるけど最初ひどかったですよ。
あと山だけど、海も近いです。海のすぐ側に志布志の町があって、その1段か2段高いところにここがあるって感じ。だからちょうど、潮風はこない距離。でっかい台風がきたときも塩害は一切なかったです。
―――この農園は東八重さんのお父様が始められたとか。
そうですね。僕で2代目なんですが、現会長であるうちのおやじは北海道から養子でこっち来て、この東八重っていう性も母方の性なんですよね。うちのおやじがお茶を始めた30年前くらいは、なに作っても売れるような時代でした。
―――時間とともに茶作りは変わりましたか。
父がずっと工場入ってたんですけど、単価が落ちてくると茶作りにも迷いがでるわけですよね。そうすると、まだ20代の自分に助言を求められてくるわけですよ。この水色(すいしょく)、どっちがいいかとか。実はうちの父、色弱なんですよ。
今のシビアな時代だと、色弱で水色見るっていうお茶屋さんって絶対いないと思うんですよね。それで、蒸しの担当が僕に変わりました。面白いのが、同じ工場で同じ畑だけども僕が蒸しを変えたときにすぐ市場から電話きて「どうしたの?最近東八重製茶のお茶が変わってきてるけど」って。
蒸す人が変わるだけでやっぱり変わるんですね。そんな感じで市場出しがほとんどでやってきてるけど、5年前くらいから相対(※)も始めてます。
相対(あいたい)
茶葉の見本を、市場には出さずに懇意にしてる茶商に名指しで入れること。茶商が値段をつけて、茶農家がその値段に合意すれば取引が成立する。
―――相対取引を始めた理由は?
相対の場合って、例えば濃いお茶が欲しいっていう依頼を受けて作って出して、いやもうちょっとこうできないですかとか、それでまた製造ちょっと変えてみたりとかというのがある。それと比べると、市場は1回出したら終わりなんですよ。
これからはもう市場だけじゃなくなって、ちょっとずつ茶商さんと個人的に話をしていくようになった結果が今ですね。うちの父ちゃんがお茶の仕事をしながらずっとスキー行ってたのを見てたからお茶やれば鹿児島にいてもスキーできるんだって思っちゃったんですよ。
東八重さんの茶作りへのアグレッシブな姿勢は、お茶の味わいにも色濃くあらわれている。味が太く伸びやか。
―――相対を始めてみて、実際どうでしたか。
僕の性格からはそっちのほうが面白かったです。茶商さんとの駆け引きだったり、買う側の話とかが面白い。市場って、誰が落札したって名前が出ても実際はその人がどんな顔で、どんな声をしてるのかっていうの分からないので。
逆に、相対は誰が買ってくれるんだろうなって思いながら茶を作る。あの人はこういう茶がいいって言ったなって思いながら作って出したら、その翌日に良かったよって返ってきたり。そういう生の声を聞きながら茶作りをしたほうが毎日が面白いというか、刺激があるっていう。緊張感も違うし。
―――以前、お子さんが継ぐかどうか迷っていましたが…。
息子に継がせる継がせないは、まだ正直迷ってますよ。全然迷ってる。今もパパみたいにお茶作りたいとか言ってくれるんですよ。この前もちょと校長室にいく用事があって、廊下にバーッて子供たちが将来の夢を書いてて。
ケーキ屋さんになりたいとかみんな書いてる中で、パッてみたら息子が今年もお茶屋さんになると書いてて。でも…まだ迷ってます。もうちょっと大きくなって、中学生になったときにまだやりたくって、もう1回言ってきたら助言はしますけどね。
―――東八重さんが茶園を継ごうと思ったのって、なんででしょうか。
そこは完全なマインドコントロールですよね、父親の(笑)。僕、小学校でサッカーしてたんだけど、それ見たらやっぱサッカーしてーってなって。そこでサッカーしたいから進学校行くの辞めるって言ったらうちの父ちゃんも「おう分かった」つって。
結局3年間サッカーばっかして、もちろん大学なんて行こうとも思わないし、自分スキーもやって国体とかも出てたんでスキーはやりたい。でも、スキーやるには仕事がいるなぁと。
で、うちの父ちゃんがずっと茶の仕事をしながらずっとスキー行ってたのを見てたから、自動的にお茶やれば鹿児島にいてもスキーできるんだって思っちゃったんですよね。茶はもう、スキーをやるためのみたいな。おかげで元スノーボーダーの今のカミさんとも出会ったりもしたんですけど。
お茶の話を「TOKYO TEA JOURNAL」 でもっと知る
このインタビューは、「観て飲む」お茶の定期便 "TOKYO TEA JOURNAL"に掲載されたものです。毎月お茶にまつわるお話と、2種類の茶葉をセットでお届け中。