20歳からや。いま90歳だから、70年やってる 「008 Z1」田村勝己さんインタビュー

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京都府和束町の山の急斜面には、「Z1」という今では珍しい品種の茶畑があります。

機械もない時代に山の中をクワで開拓し、茶畑を創るところからはじめた田村さんは、お茶作りに関わり70年。茶農家になった当時のお話や現在の茶畑に至るまでの背景について伺ってきました。

話し手:田村勝己さん 聞き手:谷本幹人

 

―――茶作りは今年で何年目に。
20歳からや。ほんで今、90歳だから、70年やってる。でも、茶畑自体はうちのおやじが手もみの時代からお茶やってたから、幼い頃からお茶はあったんです。そのかわり全部手揉み。後になって粗揉機が入って。揉機が入って。粗揉機なんかの手入れをしてな、それから電気式の機械が入ったの。

―――昭和何年のお生まれですか?
昭和4年生まれ。わし、予科練いてんで。予科練って知ってはる?予科練言ったって知らんわね、全然。軍隊や。海軍にこんな細いのに志願したの、電工志願だけど。で、ちょうど1ヶ月経って、17歳のとき終戦になって。ほんで階級が1つ上がって、わし、海軍飛行上等兵ゆうねん。

その当時は、もう軍隊は事故みたいなんあったけど、皆、そんなことなんとも思わんといたけど、親たちはどうやったかしらんけどな。今思うと良い話のタネやな。ほんまに。 で、終戦後そのまま学校戻った。まだあの頃は高校なかったから中学校に1年いて。

18歳か19歳かくらいで卒業して、それからずっと茶づくり。当時は勤めとかもあってんわ、せやけどうちの親父さんは、勤めないわってゆうてた(笑)。

―――また昔は、色々と家族総出でやってたと思いますが、何人兄弟だったんですか。
うちは6人。女1人と男5人で、俺は一番上や。みなもう大阪に行ってます。

―――茶業を継いでいくっていうのもなかなか難しいこともありますか。
息子が継いでくれれば一番ええねんけどね。まだ定年までだいぶあるわ。7、8年あるんちゃうか。まだお茶のことも全然、知ってへんのにな。まあ、若いからどうなるのか知らんけども。こっちはできるだけしようかって。人さえ来てくれたらな、なんとか。

―――田村さんは元々あった茶畑を継がれをたわけじゃないですよね。
元々あったんは、もっと下のほう。 最初は昭和 23年頃かな。山を開墾してちょうどええ山になったわけ。 それでも急やけどな、この辺は。車ないと作業大変だとか言われるけどまあ、和束町 (わづかちょう) はみなそんなんやったな。

そもそも、平らな茶園少ない。おかげさんでいまは、この山の一村に固まって畑がありますねん。こんなん、あちこちよう登らん。


―――この山を開拓.…今でも途方もないですが、当時は相当大変だったのでは。
当時はまだユンボゆう掘削用のショベルカーみたいなもんもなかったから、この辺の山の低いととろをクワで開拓していった。開拓は全部で 5、6年くらいでやったと思うわ。

茶の木も、当時は実生(みしょう)(※) 言うてな、お茶 の実拾ってやってた。在来ばっかやってん、ずうっと。それをまたユンボで掘って、今の茶畑に植え替えて。

実生(みしょう)
挿し木することで同じ遺伝子を持つ茶の木を増やすことが一般的だが、以前は自然に受粉してできた茶の実から育てていた。挿し木をすることで親の性質と同じ、いわばコピーが作られるため「品種」 という考えかたができるようになったが、品種の概念がなかった昔は実生の茶の木を栽培していた。実生の場合、特定の品種ではなく在来として扱われることになる。例えば、「やぶきた」の実(種) から木を育てても「やぶきた」品種とは認められない。

 

―――とてつもない作業ですね。自分が5年で開墾しろと言われても無理な気がしてきます。
冬場、何もすることあらへんから (笑)。ほんで、人に手伝い頼んだら皆よう来てくれはったし。マツタケようでんねん ! 割と大きいカゴに獲ってきて。


―――茶摘みはどうやってされてたんですか。
はじめはこんな、車ないやろ。竹のカゴにお茶刈ったやつを入れて。天秤みたいな棒の両方にぶら下げてな。茶摘みも、乗用摘採機でやるっちゅうことはこの山だとちょっと厳しいから全部手持ちの機械で刈って。

今も常用摘採機でやってるとこは少ない。1人で刈れる機械できたらええねんけど (笑)。今でも茶刈るのにも2人いるさけんな。小さい摘採機を2人がかりで持って刈るから2人手伝いを頼んで、わしは車に乗って補助でいく。

昔は、パチパチとハサミで長い袋つけて手で刈ってましたけど。「刈り子さん」に 7、8人手伝い来てもろた。 それから、テーラーっていうの使うて。 耕運機ありますやろ、あれに荷台が付いたの。あれで3年ほどは生芽を運んだかな。


―――急斜面運ぶのだけでも大変ですね。道も舗装なかったから、ほんとに土道だったってととですか。
そうです、うん。毎日登ってるさけんな。 山道に鉄板置いたりして手作業で道作ったけど、案内するならもっと舗装しておけばよかった。車のタイヤの部分だけ舗装してる。さっき登った、あんな泥道やった。すごい道やろ。

昨日はここ刈って。もうちょっと、ちゅうとこで夕立きて。どうにかこうにか刈れた状態や。 濡れてしもうたらあれだから。 今日はせえへんな、今日も夕立降るゆうてた。 もう、茶刈りのとき以外はずっと畑いてます。やっぱり草の始末するから。


Z1の茶園からは絶景が。御年90歳の田村さんが毎日握るハンドル。心なしかスリルが増す…。
―――Z1はコクと渋味があって、若い人にも美味しいって飲んでいただいてます。

うん、なんかそういうふうに聞いて、喜んでますねん。そうゆうて飲んでくれはったらな、作ってるほうは嬉しい。ちょっと小売してはったことにしばらくうちのお茶送ってましてん。ちょっと渋味があるって喜んでくれはるねん。渋味がええって。

Z1は被せやるにはちょっと色が黒いねん。特徴がきついねん。 もう、Z1って珍しいから。 どっかもう1軒あったみたいなんやけど、残ってんのうちのくらいや。うちもZ1はこのあたりの20列だけや。これ、みな県外から持ってきた品種で、改植したの。

―――お茶ってもう来年のことを考えたりするじゃないですか。来年どうするとかってありますか。
もう、この歳になったらない。 若い頃はな、あの品種をちょっと違うのに変えようとかくらいはあったけどな。もうこの歳だから、維持すんので精一杯。でも、見た目若いって言うてもろって喜んでる(笑)。

わしの茶づくりは、いつも一生懸命にやっただけ。そりゃ、良いお茶できたら嬉しいけど。

 


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このインタビューは、「観て飲む」お茶の定期便 "TOKYO TEA JOURNAL"に掲載されたものです。毎月お茶にまつわるお話と、2種類の茶葉をセットでお届け中。

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