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みんな捨てて帰って来て、命かけた第二の人生ですわ 「037 つゆひかり大山」井上青輝園 井上隆治さん・井上正吾さんインタビュー
2020年07月19日
by 煎茶堂東京編集部
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鳥取県の北部に位置する大山町には、冬の寒さにじっと耐えながら、葉肉の厚く濃厚な茶葉を育む農家があります。
「井上青輝園」は、父・隆治さんと4代目息子・正吾さんの親子で営む茶園です。隆治さんは鳥取を1度出て滋賀で茶業に就き、この地に再び戻ってきたという経歴の持ち主。ふたつの土地をダイナミックにまたいで茶業を営んできた視点や栽培のこだわりについてお聞きしました。
話し手:井上青輝園 井上隆治さん、井上正吾さん 聞き手:谷本幹人
―――このあたりはどういう地域なんでしょうか。
正吾さん:この大山町は町内に海からスキー場まである傾斜地で、冬は寒く雪が積もる場所ですね。お茶の産地としては比較的寒冷なので、生産時期は他に比べて遅いです。
でも遅いということは悪いことばかりでなくて、茶葉が時間をかけてゆっくり伸びていくので、非常に葉肉の厚い濃厚なうまみを持ったお茶ができると思っています。
隆治さん:鳥取県って山陰は全部北向きじゃないですか。ほんとは南向きに作りたいけどできないんで、とにかく畑は東向きにしました。
―――お茶は昔から親しまれていた土地だったんですか。
正吾さん:このへんに、“茶畑”っていう名前の地域があるんですよ。そんで、近くに大山寺っていうお寺があって、そこが栄西さんっていう宋から抹茶を持って帰ってきたお坊さんが若い頃に修業しておられた、西日本の天台宗の一大拠点だったんです。
歴史的な資料はほぼ残ってないんですけど、そういうお寺があったら献上する茶を近くで作るっていうのは、ない話ではないのかなと。
隆治さん:ただ、それを除くとお茶の生産の記録が全く見つからんぐらい、お茶はなかった土地だと思います。だからこんなところ絶対お茶合わんって思ってました。
―――なぜ隆治さんは1度滋賀に行かれたんですか?
隆治さん:跡取りとして鳥取で11年ぐらい農家やってて。でも機械化とか新しい品種植えたりとかっていう想いが親とうまく合わなくて出ました。こんな性格なんでね、ほんとに一文無しで出ちゃった。
正吾さん:当然茶畑もないので、滋賀のお茶問屋さんで働いて。
隆治さん:最初は、日が当たる国だし俺が尊敬してる人がいいって言ってた宮崎でお茶したかったんだけど、茶畑と工場と家と山を買って入れって言うわけですよ。駄目ですわな、一文も金ないんやもん。それで九州諦めたんだけど、子供らもまだ小学生で食わせないといけん。
そんなときに滋賀の友達が変わった人に会わせてくれたんですよ、ギャンブル好き・女好き、でもいいお茶作る。畑見せてもらったら芽がギラギラしてるじゃないですか。そこに勤めながら勉強させてもらいました。
―――そこで茶農家として過ごした後、鳥取に戻られたんですね。
隆治さん:滋賀で茶畑も工場も家も買うとこまでいったのに、色々あってやっぱり鳥取で茶をやろうということになりました。みんな捨てて帰って来て、命かけた第二の人生ですわ。
正吾さん:かなりの決断だと思うんで、なんも言うことなかったです。
―――正吾さんも1度は違うお仕事をされていたとか。
正吾さん:某IT会社のエンジニアをやっていて、引き止めて頂いたのをお断りして戻ってきました。前の仕事でも実際現場で対面するのが多い仕事だったので、お客様の希望を叶えたり喜びの声を聞くことがありました。
うちでも10年前から小売を始めたらお客様の声を直接もらえるようになって。例えば前職はお客様から会社名で呼ばれたりしますけど、そういうダイレクトさはこっちの方が数段上ですね。その分責任も多いですけど。
隆治さん:ほんとは嫁さんもあるし勤めとったら百姓してるより楽だよなって思うけども、継ぐって決断してくれたときはやっぱり嬉しかったですね。
―――では今は隆治さんが教えながら。
隆治さん:でも親が子供に教えるっていうのはほんとに限られてるんですよ。だけん静岡に毎年1週間ほど行かせるんですよ、忙しい収穫のときにね。
正吾さん:静岡のほうがこっちより一番茶収穫の時期が1〜2週間早いからできますね。でも面白いもんでそのお茶農家さん、土や茶葉作りの話で最終的には父と同じこと言いますね。大事なのは蒸しだけどそれも全体で言ったら1割にすぎなくて、じゃ残りの9割はなんだっていったら、いい茶葉を作るところだと。
隆治さん:そうだよ、それが基本。そんで良い茶葉を作る上で大事なのは木の根っこの部分なんですよ、これはもう絶対に。大量生産する人たちは今まで何十ヘクタールっていう大きな土地を開拓した。だけど、20〜30年してくると木は枯れちゃう。なんでかって、根っこの土がちゃんと作られてないからなんですね。
―――この土から作るとなると植替えも必要で時間がかかりますし、思想がないとやれないですよね。
隆治さん:それも、その地域性だと思うんですわ。自分だけ儲かればいいっていう地域はどんどん大型化が進んでいくけど、ここのお茶を守って行こうっていう人たちが集まればちゃんと守られる。昔、滋賀にいるときに20人くらいの茶農家仲間でユンボ(ショベルカー)の免許を取って農地の造成をしっかりやる集団を立ち上げたんです。
農家が勉強して畑の根っこ作りから始めたんですよ。ちゃんと根の1m50cmくらいまで土をほぐして空気入れて排水良くしてやって、ストレスかからない状態を作る。そうするとほんとに木の生育が全然違いますよ。
―――ここの土地も造成されたんですか。
正吾さん:はい。うちの畑、今は赤土なんですけど実はこの辺の土地は本当は黒ボク土なんです。3〜4m以上掘った地層の下の方にしか赤土はないんですよ。
畑を造成して平らで緩やかな傾斜の土地にする時に、父がユンボで天地返しをしながら掘り起こしてたらその谷の部分の深いとこに赤土があって。だから下の赤土を掘り起こして上に持ってきて赤土の畑にしました。
青々と実に美しい茶畑、赤土の上を歩く。この日は突然の雹(ひょう)が降り注いだ。
―――どうしてそこまでして赤土を。
隆治さん:高校卒業して静岡の試験場にいた頃。静岡って全国から人が来るから自分とこのお茶を持ってきて自慢しあいっこするわけです。その時は俺いっつも小さなる。「なんでお前とこのお茶はこんなぐりーっと大きくて水も薄くしか出んのだ」って。
そんで土の話が必ず出て、赤土がいいってなる。黒ボクでもうまいのができんのかって勉強したけど、やっぱり難しくて。今は造成すれば赤土があるのが分かったから、赤だけにこだわってみようと思って。
―――他にも、土作りのこだわりはありますか。
隆治さん:うちは気に入った単肥を自分で運んで、自分ちで肥料配合するんですよ。魚粕・肉粕・油粕・小豆…。メーカーさんが配合したもんは手間はないですけど、なかなか信用できるもんがないんです。滋賀にいるときからこれは崩さないですね。
正吾さん:先週ちょうど父が三重のなじみの肥料屋さんで小豆と菜種仕入れて。今度私が愛知で魚粕と地元の米ぬかを手に入れます。肥料作りっていうのは1番金がかかるところでもあるんですけども、1番手を抜いてはいけないところなので。
お茶の話を「TOKYO TEA JOURNAL」 でもっと知る
このインタビューは、「観て飲む」お茶の定期便 "TOKYO TEA JOURNAL"に掲載されたものです。毎月お茶にまつわるお話と、2種類の茶葉をセットでお届け中。
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