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和歌の世界は「ハッピーな恋」NG? 古も今も、短歌はエモ面白い!
2022年07月05日
by 煎茶堂東京編集部
いま「短歌」が密かなブームになっているのを、ご存知ですか? SNSでちょっと歌を詠んでみたり、歌人の歌集を買ってみたり。十代の若者から大人まで、煎茶と短歌は、共に長い歴史を持つ日本独自の文化です。
短歌といえば、百人一首のような和歌を思い浮かべる人も多いはず。
現代の短歌と、古典文学である和歌はどう違うのでしょう? “和歌はめちゃくちゃ面白いですよ!”と言う東洋大学の高柳祐子先生に、和歌の面白さと、現代の短歌へとつながる歴史について伺いました。
教えてくれたのは…高柳祐子さん
東洋大学 文学部日本文学文化学科 准教授 博士(文学)。専門分野は和歌文学、中世文学。「研究していても本当に面白くて、いつまでも興味が尽きない」とのこと。和歌の入門としておすすめなのは、やはり「百人一首」。「『超訳百人一首 うた恋い。』(KADOKAWA)は漫画だから背景もよく描かれていてかなり勉強になります」。
短歌も和歌も、基本は「五・七・五・七・七」の31文字。古代に生まれた文学が、形式を保ったまま現代に受け継がれているというのは非常に珍しいと思います。
でも学校で和歌を習ったとき“なんじゃこりゃ?”と思いませんでしたか?現代語訳で「なんと雄大な景色であることよ」と言われても、“えっそんなこと書かれているの?”って。
実は和歌は、すごく論理的に組み立てられていて、その読み解きはさながらパズルのよう。特に中世の歌人たちは、いろいろな仕掛けを入れて、言葉で芸術をつくっているんです。
とはいえ、決して難しいものではないですよ。例えば、かな文字は「あめ」と言ったときに「雨」「飴」とまったく別の言葉をあらわします。そういう不思議なつながり、縁みたいなものを取り込んでみるなどの工夫が凝らされています。
和歌は、人に読んでもらった時に「あっこういうことか」と楽しんでほしい、分かってもらいたいから詠む。いわばコミュニケーションツールだから難しすぎず、でも、センスのいい言い回しにはしたい。そういう点は現代の短歌にも通じると思うし、「短い言葉で共感してもらう」というのは、どこかSNS的ですよね。
では、なぜ和歌が分かりにくいのかというと、詠まれた時代や当時の知識が現在とは違うから。
もし今の人が作った短歌を1000年後の人が見たら“なんでこんなにマスクが流行っていたんだ?“と不思議に思うでしょう。同じように、古典和歌が作られた時代には何があって、どんなことがお約束だったのかを知らないと理解できない部分が多い。共感を得ることが大事な文学だからこそ、その背景を理解して読み解く必要があるんです。
例えば、和歌というと恋の歌がやはり多いですよね。でもなぜか和歌の恋の歌は「すごい幸せ!ハッピー」みたいなものがないんです。“この幸せは永遠じゃないから、いっそ明日死にたい”とか、“あなたが素敵すぎて、私はもう生きていられない”とか、ものすごくネガティブ。でもこれは二人の時間がすごく特別っていうことの表現、いわばお約束なんです。
それを見て“刺さるわ〜”“分かるわ〜”と共感を得る。実際には平安貴族って決してネガティブではなくて、めちゃくちゃパリピで陽キャばかりですから(笑)。
また、当時の歌人は古典教養というものを身に付けていて、ある言葉が出てきたら“あの和歌集からの引用だ”と分かる。でもそれは、私たちがテレビや漫画の話をするのと近い感覚なんじゃないかなと思います。“恐ろしい子……!”と言ったら『ガラスの仮面』だなと分かる、みたいな。
だから私の仕事は、当時における「どうやら北島マヤのライバルは姫川亜弓らしいぞ」みたいなことを史料から調べていって、和歌の解釈を深めるということですね。
和歌はそもそも、かな文字とともに発展した、日本独自の文学表現です。それを“(当時の輸入文化である)漢詩にも負けない、和歌っていう文学をもっと誇ろうぜ!”と『古今和歌集』の紀貫之が言い始めた。
そして何百年と続くうちに古典といわれる型ができていって、やがて西欧のポエムが輸入文化として入ってくると、“古典とは違う、もっと新しく自由な歌(短歌)をつくろうぜ”と正岡子規が自然主義的な、当時としては革新的な歌を発表するようになる。
そういうことは、現代の短歌に至るまでに繰り返し起きているはず。それでも五・七・五・七・七のリズムがなぜ今も残っているのか、理由は分かりませんが、もうDNA的なリズムの心地よさなのかもしれません。
短歌は本当に、間口は広く、奥は深い文学です。深掘りすればするほど面白いので、現代短歌でも、和歌でも、ぜひぜひたくさん読んでみてください!とはいえ、やっぱり恋の歌では“死ぬ死ぬ”言いすぎのような気もしますけど(笑)。