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僧侶・松本紹圭さんインタビュー「掃除は誰の人生にも関係があるもの。だからこそ素晴らしい修行になる」

2021年04月16日

by 神まどか

何かと一新したい気分になる新年度。心と身体をスッキリさせる「掃除」はいかがでしょう?

「掃除」とは、日常の中で無理なくできる仏道の修行であるとして、その素晴らしさを説いている「ひじり」(寺に在籍しない僧侶)である松本紹圭さん。今や世界中に「SOJI」として広がりつつある“心を整える掃除”の背景にある考え方について、お話を伺いました。

教えてくれたのは…松本紹圭(まつもと・しょうけい)さん

1979年北海道生まれ。東京神谷町・光明寺僧侶。未来の住職塾塾長。世界経済フォーラム(ダボス会議)Young Global Leader。武蔵野大学客員准教授。東京大学文学部哲学科卒。インド商科大学院(ISB)でMBA取得。お寺経営塾「未来の住職塾」など、既存の枠を越えて現代仏教の可能性を追求している。「Temple Morning」の情報はツイッター(@shoukeim)にて。note「方丈庵」も更新中。
noteマガジン「松本紹圭の方丈庵」:https://note.com/shoukei/m/m695592d963b1

掃除で「良き習慣」を身につける

掃除には、仏道の修行において大切なものがすべて詰まっているといっても過言ではありません。仏道の基本は「戒定慧」の三学です。

「戒」とは戒律であり、良き習慣を身につけること。「定」とは集中力。心を制御して、平静を保つこと。そして「慧」とは智慧。覚りを開き、自己と世界を正しく見ることです。

木に例えるなら、戒が根、定が幹、慧が実といえます。つまり良き習慣を身につけることが、仏道において何よりの基本なのです。

では、仏道が目指しているものは何かというと、「抜苦与楽」です。人の苦しみを取り去り、楽を与えること。この基本が、良き習慣を身につけることなのです。

ここでいう苦しみとは「思い通りにしたいけど、思い通りにならないこと」への執着であり、「不満足(unsatisfactoriness)」といいかえることもできますね。その苦しさから離れるために、自分自身にとってちょうどいい心の在り方(中道)を探す。仏道の修行とはそういうものではないかと思います。

修行としての掃除の効果はいろいろあるのですが、もっとも大きいのは「習慣にする力」だと、私は考えています。良き習慣を身につけるというと、何も考えずに体が動くようになるという風に感じるかもしれません。

しかし、ここでいう習慣とは決して思考停止に陥ることではなく、どんな状況に置かれても自分の頭で考え、自分の足で歩む力をつけることです。今の言葉でいう「ルーティン」が近いのではないでしょうか。
 
もうひとつ掃除が素晴らしいのは、誰の人生にも関係があり、誰でもすぐに取り組むことができる点です。そこに何かしらの気づきがなかったとしても「きれいになるからいいじゃない」と(笑)。身体的な動きで得られる達成感や満足は、案外侮れないものですから、それだけでも心を健やかにする効果は大いにあると思います。

ウェルビーイングと仏道

もともと私は「人はなぜ生まれ、なぜ生きて、死んだらどこへ行くのか」というような事柄に関心があって、大学では哲学科に進みました。

哲学者はすごいなと思う一方で、幸せな人生を送っているかというとそうでもない。考えるのはいいけれど、頭でっかちになりすぎていやしないかと感じたんです。

「より幸せに生きる」もっと仏教的にいうならば、「より苦しまずに生きる」ということにおいては、どうなのだろうと。もともと祖父が住職をしていた縁もあって仏教には親しみもありましたが、「仏道」とは考え方だけじゃなくて生き方だということに気づいたのが大きかったですね。

思想ではなく、座禅であったり掃除であったり、身体的な実践を伴った生き方そのものだと。生身の人間ですから、頭で考えるだけじゃなくてバランスが大事。自分はそういうことを大切にしていこうと考え、仏道に進むことを決めました。

世界的に「ウェルビーイング(よりよく生きる)」という言葉は注目されていますが、仏道は、この考えにも通じる、グローバルな感覚に共鳴するものではないでしょうか。

それはマインドフルネス(経験や先入観にとらわれることなく、身体の五感に意識を集中させ、今、この瞬間の現実をあるがままに受け入れる心を育むこと)という言葉で瞑想の効果が広く受け入れられていることもまた同様だと思います。
 
とはいえ、いきなり「座禅を組んで瞑想しましょう」と言われると難しそうだと感じますが、「掃除で環境を整えて、心をすっきりさせましょう」だと何となくスッと入ってくる気がしませんか?

完璧でなくてもいいと思うこと

どんなことでもそうですけど、結局「気づき」というのは自分で手に入れるしかありません。どんなに人が「これに気づきなさいね」と言ったって、タイミングによってまったく何も感じないかもしれない。

掃除は素晴らしいことだけど、万能ではありません。だから「よし今日から掃除を習慣化するぞ!」と構えすぎず、自分にできる範囲でやるというのがいいと思います。

でも筋トレと同じで、超ハードなものを年に一回するよりも、軽くても定期的にやったほうが、効果がありますよね。同じように無理のない範囲で、でも習慣化させるというのが大事なのです。
 
よくあるのは、完璧にやろうとしすぎてどこから手をつけていいか分からないから、いっそのことしない方がいいと投げだしてしまうこと。でもすっきりときれいに完璧なことなんてないんですよ。

私たちは「これさえあれば」「これさえやっておけば」という言葉に弱いものです。でもこれだけ変化が激しく不確実な時代の中で、確かなものなんてひとつもないと言ってもいいぐらいです。

掃除をしていても、落ち葉はどんどん落ちてくるし、埃だって落ちてきます。その刻々と変化する状況の中で、自分の中のちょうどいい「中道」を探り続けることが人生だと、掃除は教えてくれるのだと思います。




このインタビューは「TOKYO TEA JOURNAL」VOL.24に収録されています。

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