
陸羽『茶経』と盧仝『七碗茶歌』〜お茶を文化へと高めた中国文人〜
2021年06月08日
日本文化として定着しているお茶や茶道(抹茶道・煎茶道)ですが、元を辿ればお隣・中国に由来しています。中国におけるお茶の歴史を紐解くことで、日本のお茶文化や茶道の真髄を理解することができるのです。
今回は、中国・日本のお茶文化に多大な影響を及ぼした陸羽の『茶経』と盧仝(ろどう)の『七碗茶歌』を中心とした、中国文人と日本のお茶文化のつながりについて解説していきます。
中国のお茶は5000年もの歴史を誇る?
中国ではいつ頃からお茶が飲まれるようになったのでしょうか。中国におけるお茶の歴史として欠かせないのが、今から5000年前のこととされる三皇五帝の一人・神農(炎帝)にまつわる逸話です。
神農は医学や薬学の神として崇敬されており、1日100種もの薬草を自ら噛んで効果を確かめ、人々のために医薬の道を切り拓いたと言われています。そんな神農が毒草を噛んでしまった時、毒消しのために服用したのがお茶の葉だったとされているのです。
あくまでも神話上のことなので真偽は定かでありませんが、少なくともかなり古い時代から、中国においてお茶は薬として認知されていたことがうかがい知れますね。後ほどご紹介する『茶経』においても、紀元前2700年ごろにはすでにお茶が飲まれていたと記載されています。
中国で正式な文献としてお茶が登場するのは、紀元前1世紀ごろのこと。日本に伝わる数百年前から、中国では庶民の暮らしにお茶が存在していたのです。
お茶を文化へと高めた陸羽『茶経』
紀元前の時代から飲まれてきた中国のお茶ですが、当初の飲み方は今と異なるものだったと見られています。お茶単体で飲むのではなく、ネギやショウガ、ナツメなどを一緒に煮込んで飲む、言わば雑炊のような飲み方が主流だったようです。お茶が薬だったということを考えると納得がいきますね。
この喫茶習慣に対して異を唱えたのが、唐代中期に活躍した文人・陸羽でした。陸羽はお茶に関する百科事典と言うべき『茶経』を記し、今に至るお茶の飲み方を定義づけたのです。『茶経』は以下の10章からなります。
1.茶の起源(一之源)
2.製茶道具(二之具)
3.製茶方法(三之造)
4.飲茶用具(四之器)
5.茶を煮る際の注意点(五之煮)
6.茶の飲み方(六之飲)
7.茶に関する史料(七之事)
8.茶の産地(八之出)
9.略式の茶(九之略)
10.茶経を茶の席に掛けること(十之図)
見ての通り、お茶に関するあれこれを全て記した文献であり、後世においても聖典として重んじられています。
『茶経』において特に注目したいのが、茶の飲み方について記載されている点です。陸羽は、最上のお茶を正しく丁寧に淹れるべし、淹れたお茶は熱いうちに飲むべしと記しました。これは他のものと混ぜて飲むという、当時のお茶のあり方を真っ向から批判するものです。
さらに「一之源」において、陸羽は「茶は行い精れ(すぐれ)、倹の徳のある人の飲物に最もふさわしい」と記しています。行いが正しく、倹しくて徳のある人こそがお茶を飲むべきという一文は、茶道にも通ずるお茶の深い精神性を表すものとされているのです。
かつて薬効のあるただの飲み物だったお茶は、陸羽の『茶経』によって、一つの文化へと昇華されたと言えるのではないでしょうか。
「清風の茶」を説いた盧仝『七碗茶歌』
中国のお茶の歴史を辿る上で、陸羽とほぼ同じ唐代中期に活躍した詩人・盧仝(ろどう)の存在を忘れることはできません。お茶をこよなく愛していた盧仝は、ある時皇帝に献上されるものと同じ極上の新茶を知人から贈られた際、『七碗茶歌』と呼ばれる詩を詠みました。
一碗喉吻潤い、二碗孤悶を破る。三碗枯腸をさぐる。惟う文字五千巻有り。四碗軽汗を発す。平生不平の事ことごとく毛孔に向かって散ず。五碗肌骨清し。六碗仙霊に通ず。七碗吃し得ざるに也ただ覚ゆ両腋習々清風の生ずるを。蓬萊山はいずくにかある 玉川子この清風に乗じて帰りなんと欲す。
(出典:岡倉天心『茶の本』)
一杯目、二杯目とお茶を飲み進めるごとに気分が高揚していき、七杯目にはついに心が無となって身体の脇に清らかな風が吹くのを感じるという詩は、清廉潔白・無為自然(むいしぜん)を理想とする老荘思想を思わせるものであり、お茶の持つ精神性を見事に表したものと言えます。
「清風の茶」から生まれた煎茶道
唐代に盧仝が記した「清風の茶」という理想は、1000年近く時代を下った江戸時代の日本で再び花開くこととなりました。戦国時代に権力と強く結びついた茶の湯は固定化が進んでしまい、精神性を重んじる江戸時代の文人たちは茶の湯から距離を置くようになります。
彼らは「清風の茶」こそがお茶を嗜む上での理想の世界と考え、抹茶ではなく、当時中国で普及していた釜炒り茶を飲みながら創作に耽りました。
そのような時代背景の中、黄檗宗(おうばくしゅう)の僧であった高遊外(こうゆうがい)は京の市中で煎茶を売り歩き始めます。売茶翁(ばいさおう)と呼ばれる彼の行動によって、かつて上流階級に限られていたお茶と禅の世界が庶民にも浸透していったのです。
形式化してしまった抹茶道に対し、売茶翁が重んじたのはお茶が持つ精神世界と風流。抹茶道から距離を置いた文人たちは、こうした売茶翁の思想に共感し、やがて煎茶道へと発展を遂げていくことになります。煎茶道の根底には、盧仝の説いた「清風の茶」の思想が流れているのです。
今もなお、お茶を文化たらしめる中国文人の思想
茶道のルーツとなるお茶の規範を記した陸羽と、お茶の背景にある精神世界の奥深さを詠った盧仝。唐代に生きた二人の思想は、長き時を経た現代においてもお茶を文化たらしめていると言っても過言ではありません。
お茶を淹れる瞬間、飲みながらホッと一息つく瞬間、澄んだお茶の中に宿る思想と歴史に思いを馳せてみるのもおすすめです。