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作り手のことば「器は物足りないくらいが良い。完璧すぎると飾り物になってしまう」陶芸家・光藤佐さんインタビュー
2024年07月12日

by 煎茶堂東京編集部
京都で焼き物と絵を学び、現在は兵庫県朝来市(あさごし)で器づくりに情熱を注ぐ、陶芸家の光藤佐(みつふじ・たすく)さん。全国各地で精力的に出展されており、独特な風合いや造形の面白さに心を奪われる人が多くいます。
今回、煎茶堂東京で光藤さんの作品をお取り扱いするにあたり、光藤さんのお人柄、作品や陶芸に対する想いなどを伺いました。
光藤さん、今回はよろしくお願いします。まずは、簡単なプロフィールを教えていただけますか。
よろしくお願いします。僕は兵庫県宝塚市で生まれたのですが、中学卒業後すぐ、焼き物のことを学びに京都へ行きました。
京都の職業訓練校で2年間窯業を学びながら、夜間4年制の定時制高校にも通っていたんです。職業訓練校を卒業した残りの2年は定時制高校に通いつつ、窯元に就職して器づくりをしていました。
両親から「進学してみる気はないのか」と言われたのを機に、もう少しクリエイティブなことに取り組んでみたいのではないかと自問自答して、大学への進学を決めました。当時の職業訓練校というのは、焼き物屋のご子息が多く通うようなところで、実業の側面が強かったんです。
職人として同じものを作り続ける姿勢に疑問を持っていたというのもあり、昔から好きだった絵を描いてみたい、ということで京都精華大学へ進学しました。
大学卒業後は進路が決まっていなかったのですが、卒業した1986年がちょうどバブル景気に向かう時期だったこともあり、親の支援でイギリスへ1年ほど語学留学しました。その後、職業訓練校時代の先生に紹介してもらって、再び焼き物の世界に戻ったんです。
その後、26、7歳で独立し、兵庫県養父市(やぶし)で制作活動をしていました。15年ほどたったときに隣町の朝来市でマイホームを購入し、現在に至っています。
今のお話にもありましたが、光藤さんは京都精華大学美術学部のご卒業と伺っています。大学時代はどのようなことを学んでいたのですか?今のお話にもありましたが、光藤さんは京都精華大学美術学部のご卒業と伺っています。大学時代はどのようなことを学んでいたのですか?
佐川美代太郎(さがわ・みよたろう)という先生の線画に魅力を感じていたので、それを学びに大学へ進学しました。陶芸科に行くのではなく、ひたすら絵だけを学んだ4年間でした。
大学で絵を学んだ後、結果的に焼き物の世界に戻ってきたとのことですが、どういった経緯があったんですか?
小さい頃から絵を描いたり粘土をいじったりするのが好きでしたが、正直、中学卒業後に職業訓練校に行ったときは「手に職をつけるために選んだ」というくらいで、それほど確固たる夢があったわけではないように思います。だからこそ、大学では絵を学び、イギリスへ語学留学に行ったわけです。
他の人から見たら「こいつは何がしたいんだ?」って思われるかもしれません…(笑)
焼き物の魅力にのめり込んでいったのは、イギリスから帰国後、職業訓練校時代の先生に紹介してもらった京都の湯豆腐屋で働き始めたときからです。
当時はバブルということもあって、その湯豆腐屋は専用の窯元を持っていました。自店舗で使う専用の焼き物を、自店舗にて作らせていたわけです。この窯元は、私ともう1人で全工程を担当していました。
京都の窯元は、ろくろ成形、絵付けなどの分業制が基本です。窯元に入ると、割り振られた担当の専門家になっていくので、全部の工程をやらせてくれる窯元はないんです。
だから、焼き方も釉薬のことも全部学べる環境はとてもありがたかったです。しかも、湯豆腐屋なので、昼食と夕食も食べられるという…(笑)
それまでは焼き物の基礎を学んでいる段階だったので、焼き物の入口にどうにかよじ登ったような感じでした。このタイミングでようやく焼き物の面白さに気づき、どんどんはまっていったんです。
その後は陶芸にすっかり魅了されていった光藤さんですが、作品を作る中で好きな工程はありますか?
工程というより「焼いたら『結果』が見える→次回の微調整を考える→微調整にチャレンジして焼く」という、毎回の繰り返しが面白いし、陶芸の好きなところです。
微調整を繰り返すのは1ヶ所だけではなく、あらゆるところに要素があります。毎回少しずつ違うことをやって、より良いものを追い求めていく作業です。
しかも、自分の好みもゆらゆら移り変わっていくので、「より良いもの」の姿も少しずつ変化しています。同じものを精巧に作る量産とは違って、自分の好みを追いかけているのですが、その好みもどんどん揺らぐわけです。
そんな「エンドレスな追いかけっこ」を楽しんでいる感覚があります。3年前に焼いてイマイチだと思っていた器が、今見てみるとよく思えるなんてこともしばしばです。これこそが僕にとってのモチベーションだし、大変でも続けたくなる理由です。
光藤さんの作品を拝見していると、李朝の器や韓国の古物の写し、漢詩を取り入れたものなどをよく作られています。光藤さんは、韓国や中国の古典美術にどのような魅力を感じているのでしょうか?
韓国や中国の古いものを見て、若い頃はただただ圧倒されたものです。形や質感、色なんかに、神様が宿っているかのような厳粛さや荘厳さを感じませんか?パッと見ると事もなげに作ったように見えるのに、すごく目を奪われる感覚があるんです。
若い頃にモノマネを始めて、今もやっている感じ。ただ、もうそれなりに年齢と経験を重ねてきたので、自分なりに消化してオリジナルのものも作りたいと思っています。
僕は、常に自分が「オモロい」と思えるものを作りたいと考えているんですよ。そうじゃなきゃ、僕がやる意味がないですから。関西人の血ですかね…(笑)
韓国や中国の古いものは、チャレンジしてもなかなかそこの感覚にたどり着けないような、「いいな」と思わせてくれる魅力があります。だからこそ、できればオリジナルの作品でそこを超えていきたいし、「僕が死んだら終わる(このような作品はもう生まれてこない)」ってくらいのものを残したいです。
「オモロい」っていい言葉ですね(笑)それでいうと、光藤さんは食器のような用途のあるものに加えて、ユーモアのある「怪物」の置物も作られています。これは光藤さんにとってどのような位置づけなのですか?
僕自身が面白がって作っている部分です(笑)
中国や中東の遺跡なんかで見つかる埋蔵品を見ていると、時折すごく馬鹿げたようなものがあるじゃないですか。そういう「作った人はきっとふざけていたんだろうな」と感じさせるようなものが好きなんです。
奈良の四天王像で邪鬼を踏みつけている像がありますけど、あれも主人公の像より、踏みつけられている邪鬼のほうに目が行ってしまうんですよ。
怪物の置物も、10〜15分くらいで気軽に作れる「馬鹿馬鹿しい」ものです。キレイだったり可愛かったりするものは作りたくない。
あくまでも、馬鹿馬鹿しいから楽しいんです。「作品」なんて大層なものではなく「なんとなく笑っちゃう」息抜き、気晴らしという感じです。だから、何点かは必ず作って焼いておくんですよ。
でも、なぜか好きな人もいるんですよ(笑)意外とファンがいて、ないと「なんで今回はないの?」と言われてしまうので、器と一緒に出展しています。
光藤さんが作品を作るとき、何かインプットはありますか?
よくある答えかもしれませんが、四方を山に囲まれている朝来の自然環境の中、ボーッと風の音や鳥の声を聞いているだけの時間でしょうか。目的があってそうしているわけではないのですが、大切なブレイクタイムです。
器を作るにあたって、一番大事なことは何だと思いますか。
料理を持って、おいしそうだなと思えるようなものを作ること。器って、絵で言えば額縁、人に着せる着物のようなもので、主役はあくまでも料理だと思うんです。「この器に盛ると料理がおいしい」と思ってくれる人が、1人でもいればいいです。
器は物足りないくらいが良くて。完璧すぎると飾り物になってしまいますから。「料理半分、器半分」とはよく言ったものです。
最後に、光藤さんが今後挑戦してみたいことを聞かせてください。
素直に自分の作りたいものを深めていきたいです。それは器であれ、何であれです。あわよくば、それが「オモロかったらいいな」と思っています(笑)