
煎茶道とは?煎茶道の歴史と小笠原流煎茶道に学ぶ精神
2021年04月30日
茶道と聞くと抹茶を使った「茶の湯」としての抹茶道をイメージするかもしれませんが、煎茶を使用したお点前を行う煎茶道も茶道の一種です。江戸時代に誕生した煎茶道は、抹茶道と異なり茶室でなくても楽しめる気軽さも魅力。
今回は、そんな煎茶道の歴史や成り立ちをご紹介した上で、流派の一つである小笠原流煎茶道を例に煎茶道に息づく精神についても解説していきます。
売茶翁の精神から生まれた煎茶道
江戸時代以前、日本においてお茶と言えば抹茶が主流でした。抹茶を用いる「茶の湯(抹茶道)」は村田珠光(むらたじゅこう・しゅこう)、武野紹鴎(たけのじょうおう)らによって磨き上げられていき、戦国時代に千利休によって大成します。
抹茶道は禅の思想と密接に結び付いていましたが、時の権力者である織田信長や豊臣秀吉が重んじたことで、徐々に大名の権力を表す手段としての意味合いが強まり、茶会は自らが持つ高価な茶道具を見せびらかす場となりつつありました。
そして、天下泰平が果たされた江戸時代になると、抹茶道はすっかり形式的なものになってしまっていたのです。
こうした状況に一石を投じたのが、黄檗宗(おうばくしゅう)の僧であった高遊外(こうゆうがい)でした。高遊外は、長崎で習得した煎茶の知識を生かし、京の市中で煎茶を売り歩き始めたのです。やがて高遊外は売茶翁(ばいさおう)と呼ばれるようになりました。
売茶翁について詳しく知りたい方はこちらの記事をどうぞ。
売茶翁は「価格は客次第、無料でもOK」という独自のスタイルで煎茶を売り歩き、それまで上流階級に限られていたお茶と禅の世界を庶民にも広めていきました。また、精神世界と風流を重んじる売茶翁の思想は、形式化してしまった抹茶道を嫌う数々の文人墨客に広く受け入れられたのです。
売茶翁をルーツにする精神は後世にも受け継がれ、江戸時代末期から明治時代にかけて煎茶の大衆化・体系化が進展。今日の煎茶道へと進化を遂げてきました。
形式を目的としない煎茶道
売茶翁の精神が江戸時代の文人墨客に愛された理由として、当時の文人が清風の茶に強く憧れていたことが挙げられます。清風とは、中国唐の時代に活躍した詩人・盧仝(ろどう)が、新茶を贈られた時に詠んだという詩「七碗茶歌」の一節から来ている言葉。
一椀喉吻潤い、二椀孤悶を破る。三椀枯腸をさぐる。惟う文字五千巻有り。四椀軽汗を発す。平生不平の事ことごとく毛孔に向かって散ず。五椀肌骨清し。六椀仙霊に通ず。七椀吃し得ざるに也ただ覚ゆ両腋習々清風の生ずるを。蓬萊山はいずくにかある 玉川子この清風に乗じて帰りなんと欲す。
(出典:岡倉天心『茶の本』)
清風は、お茶を飲むことで心がゆったりと落ち着き、清らかな風が吹いたような境地に至ることを指しています。清廉潔白で無為自然(むいしぜん:ありのままで生きることを表す、古代中国の老荘思想における理念)な生き方を大切にしていた盧仝にとって、お茶を飲む時間は理想に近い瞬間でした。
文人たちは、形式的ではない売茶翁の広める煎茶の世界にこそ、清風の茶の精神があると感じ、抹茶道ではなく煎茶道に耽っていったのです。
このような背景から、煎茶道は形式を目的としない点が特徴となっています。当然のことながら煎茶道も「道」である以上、作法や型は存在するのですが、守ること自体が目的ではありません。
あくまでも、供する相手に煎茶を美味しく楽しくいただいてもらうことが目的であって、その目的を果たすための手段として形式が存在するということ。抹茶道は基準を満たす茶室で行われるのに対し、煎茶道は場所を選ばず外でも楽しめるというのも、形式を主目的としていないからなのです。
小笠原流煎茶道に見る煎茶道の精神
ここからは、煎茶道の流派の一つである小笠原流煎茶道の家元嗣・小笠原秀邦先生へのインタビュー内容から、煎茶道の精神を紐解いていきます。
煎茶道の精神を深く知ることができるインタビュー記事はこちら。
煎茶は単なる飲み物ではなく人を精神世界へ誘うもの
煎茶道の世界には、常にお茶を提供する側とされる側という2人の主体がいます。先ほど提供する側は「供する相手に煎茶を美味しく楽しくいただいてもらうことが目的」とお伝えしましたが、提供される側も煎茶道を通して精神を整えることができるのです。
この点について、小笠原秀邦先生は次のように述べています。
もし「煎茶道とは何か?」と聞かれたら、私は「待つことの美学です」と答えます。
その一杯のお茶が淹れられるのを待つ時間をいかに楽しみ、自分を高めることができるのか。それが、煎茶道にとっていちばん大事なことなのです。
茶席主人が現れるのを待ち、現れたらお茶を淹れられるのを待つ。一連の「待つ時間」を通じてあるがままの自分と向き合い、精神的な世界へと踏み入れていくことこそが、煎茶道の真髄と言えるのではないでしょうか。
基本理念は「和敬静閑」
小笠原流煎茶道の基本理念は和敬静閑。「常に公平で、誠意に満ちた清い心と肉体的にも精神的にもゆとりのある状態」を表した言葉です。
売茶翁は、庶民に広く煎茶と禅の世界を知ってほしいという思いの下、市中で煎茶を売り歩きました。当時権力と結び付いて形式化していた抹茶道に対し、煎茶道は誰に対しても公平に門戸を開いていたと言えるでしょう。和敬静閑は売茶翁が目指したお茶の精神世界にも通じるのです。
和敬静閑を理念とする小笠原流煎茶道では、以下の五カ条を掲げています。
1.心技をおごらないこと
2.誠を持ってのぞむこと
3.華美を誇らないこと
4.さびた中にも気品あること
5.わが心を師とすることなく、心の師となること
どの項目も自分の心と向き合う大切さを説くものであり、煎茶を飲んで清風を感じることによって至ることができる境地。形式についての教えがないという点からも、煎茶道の精神をしっかりと読み取れますね。
お茶を淹れる日常も煎茶道の入口
茶道と聞いた瞬間、身なりを整え、綺麗に整備された茶室でいただくという畏まったイメージを想像しがちです。
しかし、煎茶道はお茶を通じて精神世界に触れるものであり、形式を守ることばかりに捕われる必要はありません。日常の煎茶を淹れるひとときであっても、抽出を待つ間に自分と向き合うことで、煎茶道の精神に近づいていると言えます。
今度お茶を楽しむ際には、豊かな香りと味わいに身を委ね、さまざまな雑念や悩みから解放された「ありのままの自分」を感じてみてはいかがでしょうか。
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