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日本茶の品種「やぶきた」とは?日本茶の歴史や起源とあわせて紐解いてみる

2020年02月14日

by 煎茶堂東京編集部

日本に住んでいるなら、当たり前のように毎日飲んでいる日本茶。みなさんはお茶の品種について気にしたこと、ありますか?…ほとんどの方は気にしたことがないと思います。

でも、品種なんて味には関係ない、と思ったらそれは大きな間違い!品種を意識しないでお茶を飲むなんてもったいないですよ。今回は、お茶の味わいを大きく左右する品種、その基本となっている「やぶきた」をご紹介します。

お茶屋さんやスーパーに行けばたくさんの種類のお茶を目にします。「静岡茶」「宇治茶」「八女茶」「狭山茶」など。名前は聞いたことがあるけれど、これらは品種ではありません。産地の名前を付けたお茶の銘柄です。

日本で栽培されている茶の75%は同じ品種。それが「やぶきた」と呼ばれるもので、普及率がもっとも高く、日本茶の代名詞ともいえる品種です。「やぶきた」はなぜここまで日本で栽培されているのでしょうか。「やぶきた」はどんな特徴を持っているのか、本稿では「やぶきた」の歴史とともに解説していきます。

なぜ「やぶきた」がポピュラーになったのか

「やぶきた」は漢字で「藪北」と書きます。お茶の品種はおよそ100品種近く農林水産省に登録されていて、実際に日本国内で栽培されているのは約75%が「やぶきた」です。

ところが、「やぶきた」は昔から栽培されていたわけではないのです。「やぶきた」が誕生したのは明治時代。それまでは「在来」といって、以前から自生していた茶の木を栽培していました。「やぶきた」誕生後、徐々に広まり、時間をかけて昭和になって普及しました。

「やぶきた」の生みの親は杉山彦三郎(すぎやま ひこさぶろう、1857年〜1841年)という静岡県の人物。1908年(明治41年)、杉山は静岡県有渡郡有度村中吉田(現在の同県静岡市駿河区中吉田)の津嶋神社前にある所有地の竹藪を開拓して茶畑を造成します。

杉山は成長した茶の木の中から優良な2本を選抜しました。2本のうち1本はかつての竹藪だった地の北の方にあったので「やぶきた(藪北)」と名付け、もう1本は竹藪だった地の南の方にあったので「やぶみなみ(藪南)」と命名しました。その2本の実験と観察を続け、やがて「やぶきた」がとても優秀な茶の木であると気付きます。

その後も彼は「やぶきた」の品種改良を続け、杉山は「やぶきた」以外にもおよそ100種にもおよぶ優良品種を生みだし、この世を去ります。彼の死後、静岡県立農事試験場での茶の育成比較試験で「やぶきた」は高い評価を受け、1945年(昭和20年)に静岡県の奨励品種に指定されることになります。

さらに1953年(昭和28年)には農林水産省の登録品種に。これをきっかけに「やぶきた」は全国に普及していきました。

では、なぜ日本で作付面積75%(出展:農林水産省2012年)までもの普及率を誇る品種となったのでしょうか。それは優れた品質であるだけでなく、育てやすく、殖やしやすい品種だからです。

奨励品種や農林水産省登録品種になったことで「やぶきた」が知られ、さらにその性質が、多くの茶農家や流通業者、消費者から賞賛されて全国へ広まっていったと考えられます。

「やぶきた」は栽培しやすく高品質であった

「やぶきた」の特徴の一つとして耐寒性の強さがあります。赤枯れや青枯れ、凍害に強い性質を持っています。また根付きのよさも特徴で、様々な土壌に対応できる適応性の高さもあります。さらに成長面での強みとしては、根や芽の出方が均質のうえ成長が速く、植え替えもがしやすいということもありました。そのため育てやすい品種として農家から高い評価を得るに至ります。

また、茶は挿し木により、ほぼ同じ性質を持つ樹を増やしていくことができるのですが、茶の品種が作られる以前は、種から育てる「実生(みしょう)」の樹(=在来に分類される)を栽培していたため、樹によって性質が異なり、品質が安定しないという欠点がありました。

収穫まで3〜10年という農作物としては比較的長いスパンで、畑に植える木を考える必要がある茶栽培において、「やぶきた」という優秀な品種の登場により、安定的な品質が期待できる標準的な品種として「やぶきた」は農家や流通業者から注目されました。

そして、気になる味・品質面の良さですが、煎茶としての品質は極めて優れています。消費者に好まれる香りあり、きれいな緑色が出やすい。味は甘みと渋みのバランスが良く、香りとコクがよく味わえる。

この「やぶきた」の味が多くの日本人の好みにフィットし、飲み慣れた味となっていきます。

杉山彦三郎の努力が生み出した日本のトップ品種

「やぶきた」が普及したのは、発見者であり改良を続けていった杉山彦三郎の貢献なくしては語れません。杉山は「やぶきた」発見以前から茶の改良に励み、その生涯の大部分を茶の栽培と品種改良に費やしました。

そして「やぶきた」の普及を見ることなくその生涯を閉じています。しかし、彼の死後「やぶきた」は高評価を得て、静岡県奨励品種、農林水産省登録品種になることで認知され、そしてその性質が多くの人に受け入れられて全国に広まったのでした。

「やぶきた」はその性質が、茶農家・流通業者に安定した収穫ができるとして認められ、味が消費者の好みと適合したことで高い評価を受けました。杉山のお茶にそそいできた情熱と努力が、現在の日本茶の75%以上を占める品種「やぶきた」を生み出したのですね。

一方で、「やぶきた」の爆発的な普及により、栽培品種が大きく偏りが生じているのは事実です。これにより収穫が短い期間に集中し、摘み遅れによる品質の低下や、作業者の過重労働、非効率な製造、品質の均一化による魅力低下などのデメリットも生じてきています。

だからこそ、私たち煎茶堂東京は、「やぶきた」一辺倒の市場から、個性豊かなバラエティのあるお茶市場を形成したいと考えています。

「やぶきたの母樹」は、静岡県の天然記念物に

杉山彦三郎が「やぶきた」と名付けた1本の茶の木を見つけたことから始まった品種の歴史。

杉山は茶の木の優良個体を選んで苗を殖やすことで品種改良を行う「個体選抜法」といわれる方法を採りましたが、それは長年にわたりやり続ける必要のある大きな負担が伴う方法でした。並々ならぬ努力の上にいまのお茶があるのですね。

彼が見つけた「やぶきた」の母樹は、発祥地である中吉田の隣の谷田地区、静岡県立美術館前通り沿いの谷田宮の後公園に隣接地へ移植され、「杉山彦三郎記念茶畑」として保存されています。静岡県の天然記念物に指定され、老木となった現在も大きく茂っているそうです。

同茶畑では杉山が各地から収集した100種以上ある中の13種も植えられていて、地元のボランティアが管理しているのだとか。また、「やぶきた」発祥地となった茶畑の隣の津嶋神社には記念碑が建立され、彼の功績を称えています。郷土の偉人として地元で愛されているんですね。

みなさんも日本茶を飲むときに杉山彦三郎のことをふと思い出していただければ、味わいの感じ方も変わるのかもしれません。

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