自分が茶で飯を食うためには根が張らないことには駄目 「020 さえみどり」ヘンタ製茶 邉田孝一さんインタビュー

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鹿児島県の霧島には、日本一の大茶樹があるのをご存知でしょうか?

そんな霧島で茶を作り続け、海外の人に向けて広く茶の紹介をしていくチャレンジもしている「ヘンタ製茶」の邉田さん。力強く骨太な茶を作る邉田さんのバックグラウンドとその想いに迫ります。

話し手:ヘンタ製茶 邉田孝一さん 聞き手:谷本幹人

 

―――ここはどういう土地なんでしょうか。
ここは霧島の山のすそ野にある、歴史の深い町でもあります。この町からは色んな山々が見えるんですが、1番高いのは1,700mある韓国岳(からくにだけ)で、少し横に5〜6年前に大爆発した新燃岳(しんもえだけ)、一番端っこには神様が降りてきたと言われる高千穂の峰っていうのがあります。

今日は晴れてて連山がきれいに見えましたね。めったにない、すごいタイミングだと思います。

―――ヘンタ製茶はどのように始まった会社ですか。
昭和44年頃におやじが帰って来たタイミングに始まりました。その頃、日置市のほうからこっちに赴任されたお茶の指導員の人が「この霧島は、日置以上に標高差があっていいお茶ができるところだ」と。それからお茶がどんどん普及したんです。

高度成長期で、お茶どんどん植えてたし、ちょうど鹿児島の有名な産地の知覧(ちらん)なんかがある南薩エリアが紅茶から煎茶に作るものを変えた頃じゃないですか。あそこはもともと紅茶の栽培地だったんですよ。紅茶から煎茶にするって、もうモノが違うからすごい努力してるんですよ。

―――知覧は元々紅茶の産地だったんですか!?
今、知覧茶が全国に広がってるのは当時の努力の賜物です。ちょうど煎茶作り始めた頃、なかなか品評会に出しても駄目だと。それで知覧の後岳(うしろだけ)っていう地域の人たちが、静岡の川根っていう有名な産地に行くんですよ。

忙しい時期に工場を止めて、夜行列車で行って。1年目は畑見るだけ、茶触らせてくれないしなんも教えてくれない。2年目も行ったら、一応摘む時期とか肥料とかは教えてもらったと。それで、3年目行ったら、ようやく全て揉み方とか教えてもらった。

そのあと知覧の後岳が毎年、大臣賞を取って知覧茶の歴史をつくったちゅうね。

―――当時の品評会でそこまで認められるのは、相当すごいですね。
そう、当時は品質の良い茶葉がまだ周りにないから、品評会で受賞した茶葉ちゅうのは、おお!すごい!となる。でも、今の品評会はそうじゃないんですよね。品評会のためにそこだけ手摘みして製茶して出すんです、市販品で手摘みなんて価格が高すぎで売れないのに。

あと、今じゃいろんな種類のお茶ができていて、鹿児島の頴娃(えい)に行けばゆたかの深蒸しが作られてる。でも品評会はやぶきたを作ってくれって言うんですよ。だから受賞した茶葉は、どこにも売ってない。昔と今では品評会の考えかたが違うんですね。



―――このあたりはシラス台地の土ですか。
うん。サラサラしてるから、シラス。そのままだと水はけが良すぎてうまく育たない。霧島山にはいっぱい冬場切った草とかがあるので、そこで切った萱(かや)を10cmくらい敷くんです。そうするとまず雑草も生えないし、水分が保たれるので夏もいい。最後は腐って有機質肥料になると。

今は、みんなビニールを敷いて草が生えないように楽をするんですよ。でも生育が悪くなって根が下に行かないんですよね。萱は大変だから、うちとあと1軒しかやってるところはないですね。山で萱を切って1週間干して軽くなった5,000〜6,000束を畑に持って配って、敷いてでしょ。腰が痛くなる仕事ですよ。

でも、そのとき大変ですけど10年後に土が良くなって報われるんですよね。自分が茶で飯を食うためには根が張らないことには駄目だけど、固いところに根を張るのは大変じゃないですか。養分がいっぱいあれば根もどんどん張っていくと。そしたら今度そこに餌まいてあげればいい。



―――この大きな樹は何でしょうか?
これ、日本一の大茶樹なんですよ。こいつが2代目で130年ぐらいです。昭和12年には国の天然記念物に指定されました。ここから、霧島のお茶の物語が始まってるんです。昔は青年団がこの大樹にやぐらを組んで茶を摘んで、そのお茶を霧島神宮に奉納してたんです。

それを守ろうっていうことで我々が5〜6年前に、やぐらを組んで茶を摘んだのをうちで釜炒りをして再現したんですよ。霧島神宮にも担いで行ったの。これに海外の人はもう感動するんですよね。こんな木がいっぱいある霧島は、やはりこの地は、茶に適した場所だとそう思わせてくれますね。


急須のマトリョーシカ状態。一番奥の急須でも十分大きいのですが、「もっとあるよ」といって...。

―――今の日本のお茶って、どういう風に見えていますか?
日本はあまりにもお茶の種類がありすぎて。色々行って見ていると、急須がない人や飲み方を知らない人が多い。だから、それをどうしたら増やせるかをひたすら考えてます。お茶を買ったら裏にQRコードがあって、お茶の飲み方がパッと分かるとか。それこそ「透明急須」なんかを普及させれば陶器にこだわる必要もないし。茶葉が開いていくのが見えるのがいいじゃないですか。水出しなんかも高級なのを作って、ワイングラスで飲むとか。洋風でお洒落な飲みかたをしていけば若い人たちにウケると思うんですよ。

でも面白いのが、海外の人たちは逆なんです。こだわった鉄瓶とかがウケる。鉄瓶って雑味がとれるとか、そういうのもうまく説明して、日本のお茶の歴史を知ってもらうっちゅうのはやるべきですよね。

―――これから先はどういうお茶を作っていこうみたいな話はありますか。
今、お茶の売り先は日本だけじゃないと思ってます。やはり海外の人たちにも目を向けてもらえるようなお茶を違った目線で作っていくというのを考えていますね。

お茶というのは昔は手摘みでした。今は手摘みをやるとコストが馬鹿にならないけど、そういう昔の伝統をもう1回やろうというのは考えてます。鹿児島は平坦地で機械摘みが多くなってるけど、またゼロに戻って手摘みの、あの機械とは確かに違う風味をまたやっていきたいと思いますね。

―――手摘みやって、気づいた香りの良さっていうのは。
1年たっても風味が変わらないです。機械で摘むとどうしても葉っぱに傷がつくので、酸化しやすい。けど手で茶葉摘むときに、葉っぱに傷がつかないしいい芽だけ摘んでカゴのなかに入れることもできるので、その差ですね。なおかつ今のお茶にない香りがあります。それをもう1回、日本だけじゃなく世界の人にそれを広めたいと。今年すごいの作りますので。

―――それは楽しみですね、期待してます!
いいものを作る上で、ただ素のお茶を作るよりも変わったものを作らんとですね。ただ趣味ですよ(笑)。手摘みで作るお茶も浅蒸しと深蒸しとの2種類を混ぜて作ったりとか。そしたら味も出るし、香りも両方でる。

これは昔、京都の人から言われたんですよ。「鹿児島に来るとこだわった高いお茶ないよね」って。京都に行くと、100g3,000円とかあるじゃないですか。そっからヒント得て、やっぱり太いストーリーあると、それだけでいろんなお客さんが来るから。売れる売れないは別で、そういうこだわったいい高いもの持ってないといけないと。

海外行けば、有機煎茶でこういうのはウケるじゃないですか。仮に農林水産大臣賞って言っても向こうじゃ売れないからね。

 


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このインタビューは、「観て飲む」お茶の定期便 "TOKYO TEA JOURNAL"に掲載されたものです。毎月お茶にまつわるお話と、2種類の茶葉をセットでお届け中。

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